横浜事件を語り、伝える会

1942年、太平洋戦争下で神奈川県警特別高等警察によってでっち上げられた言論弾圧事件である横浜事件。
このページは事件の概要と再審裁判の闘いの記録を後世に伝えていくためのものです。

「横浜事件・再審裁判を支援する会」は、再審裁判の決着を受け、再審裁判の記録を著した三部作の本の出版をもって活動を終了いたしました。

これからは「横浜事件を語り、伝える会」として、横浜事件の概要と再審裁判の闘いの記録を風化することなく、後世に伝えていくことを目的に、このホームページを中心に活動していきます。

                             《最新のお知らせ》

                        『しんぶん赤旗』2017年3月21日付掲載

                  ◆共謀罪と治安維持法  歴史の教訓

                                               橋本 進


 「お前は共産主義活動をやったろう」「やりません」「お前は飯を食うだろう、街を歩くだろう」「それはやります」「共産主義者のお前が動けば、それが立派な共産主義活動だ」

 こんな無体な論法で横浜事件の被検挙者たちは、拷問を伴う特高(特別高等警察)の「取り調べ」」を受けた。平館利雄(当時、満鉄東京支社調査室勤務、戦後横浜国立大学教授)の証言である。

 横浜事件とは、太平洋戦争下の1942年から敗戦の45年にかけ、神奈川県の特高が目星をつけた人物を治安維持法の容疑で検挙、友人、そのまた友人と検挙を拡大、グループごとに事件名を付した十指を超える事件の総称だ。編集者、研究者ら被検挙者62名、うち獄死4名、保釈直後死1名、32名が有罪判決を受けた。敗戦時、追及を恐れた裁判所は大量の記録を焼却したが、若干の予審(事件を公判にするかしないかを決める公判前の手続き)終結決定書と判決書が残された。

 西尾忠四郎(平館の同僚、保釈直後死)の終結決定書の「公訴事実」では、研究会での発表を通じ出席者の「共産主義意識の啓蒙に努めた」、部内で研究会をやると、部員「相互に共産主義意識の昂揚に努めた」、満鉄上海事務所の旧友が来訪すると、中国共産党との連絡を協議した、と断定された。

 西沢富夫(同僚、戦後日本共産党副委員長)の「判決書」の「犯罪事実」では、自身のフィンランド行きの壮行会、出版社の編集会議、友人の壮行会、食事会参加があげられ、そのいずれでも知人と「相互の共産主義意識の昂揚並びに同志的結合の強化に努めた」と断定されている。

 そして、平館、西尾、西沢の3名の満鉄社員が1942年7月、総合雑誌『改造』編集者の小野康人や中央公論社出版部員ら4名と共に、細川嘉六(戦後、日本共産党参院議員)の故郷・富山県泊町の料理旅館に招待されたときの宴会が共産党再建準備会議だ、とされている(泊事件)。さらに多くの「事実」を並べ立て、これらすべての行為は、「右結社(共産主義運動の国際組織コミンテルンと日本共産党)の目的遂行の為になされた行為」(目的遂行罪)であった、として有罪を宣告している。

 奇妙なことに、敗戦直前に出た小野と西尾の予審終結決定には泊事件が明記されているのに、敗戦直後に出た小野と西沢の判決書では跡形もなく泊事件のことが削除されていた。あまりにもあからさまなねつ造の露呈を恐れての削除であろう。「泊事件なき泊事件判決」であった。

 友人との会話を協議・計画(=共謀)、研究会や編集会議を共謀の場としてねつ造・弾圧した警察の武器が治安維持法であり、そこに盛り込まれ猛威をふるったのが目的遂行罪であった。
何が「為にする行為」かの判断は、警察次第であり、不自然なこじつけも〝窮極において目的遂行になる〟とすれば可能であった。

 治安維持法は改正を重ねつつ対象範囲を拡大した。共産党から外郭団体へ、労働組合やその外郭団体、自由主義者、民主主義者、宗教者(大本教、キリスト教、創価学会など)、さらに官庁(企画院事件)へと広がった。

 今回の共謀罪法案の対象は「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」であり、その認定は警察にまかされているから、制限はなきに等しい。治安維持法と共謀罪法案は、その対象の広範性と乱用の危険において全く同質である。

 横浜事件の被検挙者たちには実行行為はなく、その意識度に強弱はあったが、いずれも戦争への批判を心に秘めた人々だった。戦争の道具=治安維持法は「内心」にまで踏み込んで弾圧したのである。語り合っただけで、合意と計画とみなし、内心を監視し、取り締まる共謀罪法案も、戦争法制、秘密保護法と一体となって「戦争する国」づくりの道具となるのである。

《追記》

(1)「泊事件なき泊事件判決」は、当時の裁判所でさえも、共産党再建準備会議の虚構性を認めざるを得なかった明確な証拠である。横浜事件第四次再審請求は、この点を主軸に申し立て、横浜地裁(大島隆明裁判長)は、請求人提出の諸証拠をすべて取調べ、「実体的判断が可能な状態」(=実質無罪)になったとの判決を行った。つづく刑事補償裁判で、「法的障害」がなけれな無罪お言い渡すケースと認定、最高額の補償を決定した。決定は官報及び新聞(朝日、毎日、赤旗)に掲載された。

(2)共謀罪法案と治安維持法に共通する危険の指摘に対し、誇張した議論だとか、杞憂にすぎぬとかの反論はなされている。しかし、安倍内閣発足以来の、立憲主義無視、歴史修正主義、事実・記録の隠ぺい常習化、虚偽宣伝(ポスト・トゥルース)の数々や、山城博治・沖縄平和運動センター議長の5か月に及ぶ不当勾留、隠しカメラによる選挙事務所(野党側)監視とか、警察の不法行為のの数々(実例をあげればキリがない)は何を物語るのであろうか。すでに「無法国家」化しつつある現政権に、市民取締りに万能の武器をにぎらせてはならないのである。

◆横浜事件国賠訴訟における今次判決について

横浜事件を語り、伝える会 橋本進

 

本年(2016年)630日、横浜事件国賠訴訟の判決が行なわれました(東京地裁、本多知成裁判長)。戦中・戦後における国家犯罪・国家責任の認定(国家としての反省、謝罪)を回避する不当判決です。

(一)元被告に対する特高警察の拷問の事実、それを知りながら、起訴、有罪とした検察官、裁判官の「違法行為」は認定しました。敗戦直後、戦犯追及を恐れ、「裁判所職員の何らかの関与のもとで」裁判記録が廃棄(焼却)されたことも認めました。しかし、記録焼却→不存在を理由とした再審請求棄却(第一次請求。地裁、高裁、最高裁)以来、再審開始実現までの期間の長期化、それによる元被告・遺族の苦痛はかえりみられてはいません。これは第四次再審請求に応えた再審開始決定(091031)における‶記録不存在→審理不能→棄却゛は「裁判所の執るべき姿勢」ではない、という明確な批判から大きく後退しています。

(二)原告側の免訴不当の主張に対し、「免訴により有罪判決は効力を失い、法律上不利益は回復された」と述べ、第三次請求における最高裁判決をなぞっています。しかし、0629の横浜地裁から始まる「免訴路線」については、多くの識者から数々の疑問、批判が寄せられてきたところです。一例を挙げれば、横浜地裁は免訴判決の根拠を皇居前広場集会でのプラカード事件最高裁免訴判決(48516)に求めました。しかしこのプラカード事件判決は、最高裁における有罪、無罪の確定判決以前に、公訴権の消滅(不敬罪の廃止)→免訴となったものです。一方、横浜事件は、有罪判決以後に公訴権の消滅(治安維持法の廃止)という事態を迎えました。両者のケースの違いは明らかです。プラカード事件免訴判決を横浜事件再審裁判が無条件に従うべき判例とする論理は、乱暴なスリカエ論理であり、誤りです。(この点は、プラカード事件最高裁判決時における真野毅判事の少数意見が参考になります。)今次判決は、社会的批判をもかえりみない形式的法律論といわねばなりません。

(三)今次判決は、横浜事件における官憲の「違法行為」は認めつつも、国賠法施行(47年~)以前の行為については、「国は賠償責任を負わない」、と結論づけています。免訴路線と同じく、国家責任を認めないための身勝手な形式的法解釈論です。

(四)1986年の第一次再審請求以来、四次にわたる再審裁判と刑事補償裁判は、国家犯罪を明らかにし、国家責任を問い、国による謝罪、補償という「歴史的決着」を求めるたたかいでした。その点で、第四次再審請求に対する開始決定、その公判判決および刑事補償審決定を通じて、事実検証が行われ、警察、検察、裁判所の「重大な」「故意または過失」(国家責任)を認定、「法的障害」がなければ「無罪」との判決がなされ、補償が行われたことは、到達点として評価・確認されておかなければなりません。「過去の克服」としてドイツの例が広く知られているように、さまざまの曲折をへながらも、未来のために過去の歴史的不正義をただしてゆくのが世界の趨勢となっています。横浜事件をはじめ、全治安維持法被害者への謝罪・補償は実現されねばなりません。             (了)

 

◆私からもひと言

             横浜事件を語り、伝える会 梅田正己

 

明日、73日は、横浜地裁へ第一次再審請求を行なった日です。あれからちょうど30年が経ちました。

今次の国賠訴訟では、「免訴」判決の違法性が大きな争点となったようですが、私は横浜事件再審裁判は、第一次再審請求審(1986年)から刑事補償請求審(2010年)までだと考えています。したがって「免訴」判決は途中駅であり、終着駅は刑事訴訟審であって、その結果は、特高・検察・裁判所による権力犯罪の明瞭な証明でした。

そのことについて、今回の新聞報道でも、記事の末尾に付けたりのようですがですが、触れています。

(朝日、71「横浜地裁は10年、刑事補償を認める決定の中で、実質的に『無罪』だったと判断していた」(千葉雄高記者)

(毎日6・28「遺族が刑事補償を求めた裁判で、横浜地裁は10年、『(同法=治安維持法廃止など)免訴の理由がなければ無罪は明らか。警察や検察、裁判の各機関の故意・過失は重大』と指摘した」(伊藤直孝記者)

横浜事件再審裁判24年の意味と成果を、事実にそくして確立し、普及していかねばと痛感します。                  (了)

 

◆その他のご意見

 

3次が国賠を請求したことは至極もっともだと思いましたが、現実的には今の司法界で中からの自浄作用が起きない限り、要求が通るとは思っていませんでした。なぜなら、最高裁の判決を地裁や高裁の裁判所が超えることが出来ないのが日本の裁判だからです。1986年再審請求提訴から2010年の刑事補償での「実質無罪」を獲得するまで24年再審請求で闘った体験から私たちが見た現実は、司法が守ろうとしているのは戦後も変わらず「国家」というか「国体」の組織的権威であるし、そもそも「事実がなんであったか」に興味を持つまっとうな裁判官は司法人事では出世コースから排除されるということです。

この国が満州事変に突き進む異常な軍の台頭を許してしまったのはなぜか?

横浜事件という国家犯罪を生んだ土壌、その共犯的役割を裁判所が果たしたという歴史事実の検証も、地裁、高裁、最高裁と上級に進むほど、過誤には向き合わない権威保身しかない裁判官が多い。

しかし24年もかかった再審裁判請求の意義もたしかにありました。少数であっても良心的裁判官も存在しないわけではない。判決の度に開示された一つ一つの事実が次の一歩となり、その積み重ねの上に2010年の大島判決と刑事補償法による「実質無罪」があったのだと思います。

つまり再審裁判を起こしたことの意義は充分に大きく、頑迷な権威という壁を崩したのは棄却されても決して不当を許さず再審を訴え続けた心ある人たちの連携にあったことを私は信じて疑いません。

4次では、主文「免訴」しかし刑事補償にすすめば内容は述べるという大島裁判長の示唆がまずあった。その内容を精査し、正しく受け止めたのはプロ弁護団判断でした。そして刑事補償を受けるという事実をもって横浜事件は「無罪」だという証明とする。これが4次の判断でした。私はこの選択は正しかったと今も信じ、弁護団や支援の方に感謝する次第です。

 また個人的感想ではありますが、裁判の判決はそれを出す裁判官と受ける原告側の読みの共同作業で成り立つという意外な側面をもつという気がしました。3.11という経験を経て以後も、この国では記録も記憶も政府の政治的思惑次第。報道も権力を憚って事実を伝えないという始末。それをどう見てどう判断するのかを問われているのは実は一般市民です。



元『中央公論』次長の橋本進さんが、『しんぶん赤旗』2015年7月14日付に寄稿しましたので、ここに掲載します。

           歴史の体験と安倍内閣  「もの言ふ機関」斬りすてた無法国家

 「我社は昭和十九年六月、東条内閣のために毒殺閉鎖されて今日に至った」―敗戦直後、1946年1月号『改造』の「復刊の言葉」の冒頭である。「彼等政府者」は「もの言ふ機関」を斬り棄てる暴挙を行い、国民の「前古例例なき悲惨」
(戦禍)を招いた、とつづく。
 本年6月、自民党若手議員と「作家」の集会(同党本部内)で、沖縄2紙を〝つぶせ〟と口をそろえたことを知り、瞬時に頭に浮かんだのはこの言葉である。
 戦前、日本の代表的言論誌を発行していた中央公論社と改造社は、横浜事件(1942~45年)によって解散に追い込まれた。横浜事件とは、特高と治安維持法によって、『中央公論』『改造』が廃刊になった言論弾圧事件と解説さえるのが通例である。それは間違いではない。
 しかし、より正確には、①両誌の発行元(もの言ふ機関=批判的言論機関)がつぶされたのであり、②それは内閣情報局の勧告=命令によるものであった。命令は当然、東条内閣の閣議をへたものである(安倍内閣お得意の閣議決定!)。横浜事件は、内閣を頂点とする警察、検察、裁判所総ぐるみの国家犯罪であった。
 横浜事件の特徴の一つは拷問である。六十数人の被検挙者は残虐きわまる拷問をうけた。獄死者4人、保釈直後死1人。〝小林多喜二がどうして死んだか、知ってるだろう〟が特高のセリフだった。
 1928年、三・一五事件の大弾圧があった。翌29年2月、旧労農党代議士・山本宣治は、帝国議会予算委において、「国賊」とのやじを浴びながら、全国各地での拷問事実を徹底的に暴露、糾弾した。
 これに対し、秋田清内務省政務次官は、天皇陛下の大御心のもと、そんなことはあり得ないとシラを切るだけで、反論できなかった。当時といえども拷問は違法だったのだ。
 拷問など官吏=公務員の暴行禁止は、明治刑法(明治15年、第282条)、改正刑法(明治41年、第195条)に明記され、それは現行刑法にひきつがれている。法律規定はあっても、権力は無視したのである。ウワベだけは法治国家、内実は無法国家だった。(そして山本宣治は質問演説の翌3月、右翼に暗殺された)
 いま安倍内閣は暴言・妄言の火消しに躍起であるが、批判的言論敵視の非民主的体質はこの政権と与党の固有のものである(一例=本年4月のNHK、テレビ朝日召喚、どう喝)。知性、学問からの声を邪魔者視し、立憲主義蹂躙の道を暴走する。ウワベは民主国家、内実は無法国家の道であり、戦争国家への道である。第二の東条内閣を現出させてはならない―歴史の体験が、私たちに教えてくれる。

横浜事件第三次再審請求弁護団から『横浜事件と再審裁判-治安維持法との終わりなき闘い』(インパクト出版会 本体価格\3,000)が出版されました。

「横浜事件を語り、伝える会」の会則を定めました。挨拶文会則はPDFをご覧ください。なお、会則の末尾にある郵便振替口座は新規開設したもので、「再審裁判を支援する会」の口座とは異なります。

特定秘密保護法案反対の声明文は、お知らせ欄に移動いたしました。

上記声明文には多数のご意見が寄せられました。一部をご意見欄で紹介しております。

2014年1月29日放送のテレビ神奈川「TVKニュース930」で、「特集 横浜事件から70年 いま考えること」が放送されました。

2014年2月19日の東京新聞(夕刊)に、横浜事件被害者平舘利雄さんの遺族の方の記事が掲載されました。
このホームページは以下の内容で構成しています。

お知らせ
横浜事件とは?横浜事件についての概要を述べていきます。  ※作成中
年表 横浜事件とその再審裁判の経過を年表形式でまとめました。  ※暫定版
ご意見欄 事務局に寄せられたご意見を紹介します。
出版物 当会が編集している出版物のご案内です。
再審裁判を支援する会 会報 当会の前身「横浜事件再審裁判を支援する会」の会報です。
リンク 横浜事件関連のホームページのリンクをまとめています。

横浜事件を語り、伝える会
 Contact Us  ※返信には時間をいただく場合がございますが、ご了承ください。
Since 2011/01/20 Last update 2017/04/07
Copyright @ 横浜事件を語り、伝える会