『横浜事件・再審裁判3部作』が日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞【特別賞】を受賞しました!

日本ジャーナリスト会議(JCJ)という団体があります。 1955(昭和30)年、アジア太平洋戦争でのジャーナリズムの戦争協力を反省して、「再び戦争のために、ペンを、カメラをとらない」を合い言葉に結成されたものです。 新聞、放送、出版、広告ではたらくジャーナリストとそのOB・OGを主体とする自主的団体です。
そのJCJで毎年8月15日を前に、この一年間に発表されたすぐれたジャーナリズム活動に対し「JCJ賞」を贈るという事業が行なわれてきました。
2012年の今年、そのJCJ賞〈特別賞〉を、「横浜事件・再審裁判3部作」が受賞しました。 その賞状に書かれた文面と、受賞後に「刊行会」を代表して梅田高文研顧問がおこなったスピーチを紹介します。

 この「横浜事件・再審裁判」の3部作は24年にわたる再審裁判を担ったメンバーで刊行会をつくり、編集・執筆・出版したものです。
 せっかくの発言の機会をいただいたので、横浜事件と再審裁判について、いわゆる「通説」を修正する二つの見方を報告したいと思います。
 一つ目は、横浜事件を語る際に必ずつけられる枕言葉「戦時下最大の言論弾圧事件」についてです。この事件では、太平洋戦争開戦の翌年一九四二年から敗戦までの三年間、治安維持法違反として検挙された人は、氏名のわかっている人だけで63名、うち編集者が24名を占めます。そして凄惨な拷問と投獄により5名が獄死しました。加えて総合雑誌『改造』と『中央公論』は廃刊、版元も廃業させられます。
 この国の言論統制・言論弾圧は明治の初めからありましたが、これほど大規模な弾圧事件はほかに見当たりません。したがって、横浜事件は「日本近代史上最大の言論・出版弾圧事件」と呼ぶべきであると考えます。

  次に、再審裁判について確認しておきたいことがあります。
 再審裁判を起こすきっかけになったのは、一九八五年、中曽根内閣の当時、自民党によって「国家秘密法案」が国会に上程されたことです。「防衛秘密」と「外交秘密」に接近した者は、最高刑で死刑に処すというものでした。これと同じ構造を持った法律が戦前の「治安維持法」でした。「国体の変革」つまり天皇制の廃止と「私有財産の否認」、つまり共産主義運動の目的達成につながる行為、すなわち「目的遂行の行為」を行った者は厳罰に処するというものでした。何が「目的遂行の行為」にあたるのかは、特高警察・思想検察官が勝手に判断するという、無限の拡大解釈を認めていたのが、治安維持法でした。
これと同じ構造を持つ「国家秘密法案」が戦後40年が経って登場したとき、横浜事件の被害者たちが、あの暗黒の時代の再来を許してはならないという切実な思いから、治安維持法による権力犯罪、国家犯罪の実態を法廷の場で明らかにしようとしたことから、再審裁判が始まったのです。
 この再審裁判は、事件の被害者および遺族9名によって一九八六年七月に提起され、二〇一〇年二月まで24年間にわたり、第一次から第四次までたたかわれました。終盤は、第三次と第四次が並行して進みましたが、再審決定の扉を開いた第三次が最高裁で「免訴」となりました。
免訴というのは、元の裁判による有罪判決を取り消すのでなく、元の裁判と判決を「なかったことにする」、白紙に戻すということです。  この免訴判決のため、横浜事件再審裁判は、この事件が国家権力による犯罪であることを明らかにしないまま、中途半端に終わったという印象があるようです。
 しかし、第三次の後にはもう一つ、第四次がありました。この第四次では、免訴という最高裁判決はもう動かしようがないので、再審開始決定を出す段階でぜひとも事件の内部に踏み込んで実体審理を行ってもらいたいと強く要請しました。 横浜地裁の大島隆明裁判長は、これを真正面から受けとめ、事件の全体構造を見渡し、その虚構を明らかにしました。そして権力による犯罪、国家犯罪であるとの判定を下してくれました。判決文では、「『法的な障害』さえなければ、無罪を判定すべき事件」だと言い切りました。「法的な障害」とは旧刑訴法の形式的解釈とそれに基づいた最高裁の「免訴」判決のことです。
 さらに、大島裁判長は、「無罪」の認定を社会に広く知らせるために、刑事補償法による補償を求めるように助言してくれました。この刑事補償法というのは、検挙され投獄された人が無罪とわかった時は、一日の最高額一万二五〇〇円に、その日数を掛けた金額を支払わなければならないという法律で、いわば「無罪の証明」というべきものです。あわせて、その事実を、裁判所は官報と、請求人側の指定する三つの新聞に告示することになっています。
 第四次の原告、小野新一さんと斎藤信子さんの父で、雑誌『改造』の編集者だった小野康人さんの拘留期間は二年間を超える七八〇日、補償金額は九八〇万円でした。 この補償金については、康人さんの妻・貞さん、つまり小野さん兄妹のお母さんの遺言がありました。かりに刑事補償金が支払われても、一円たりともふところに入れてはならない。すべてを公のために使うように、という遺言です。 この遺言を受けて、記録集を作り、広く社会に訴えるとともに、後世に伝えようということになり、「横浜事件・再審裁判=記録・資料刊行会」を結成し、三部作を出版したという次第です。

  最後に、今また「秘密保全法」なるものが準備されつつあります。この法案もまた先の「国家秘密法」と同じ構造、同じ狙いをもつものです。
 市民の「知る権利を封殺する、こうした目論見は打ち砕くために、この日本の言論・出版弾圧問題を考える際の原点とも言うべき、横浜事件についての認識を深めていただきたいと思っております。

【2012年8月11日 JCJ賞授賞式にて。 梅田高文研顧問】



   
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